散文とブルース Vol.1
日記 ぼやき

散文とブルース Vol.1

もう満足です。

そう最初に思ったのは、大学院を卒業する時。

キャンパスに通う最後の日、大学の出口で見た光景が今でも忘れられない。

夕日が本当に綺麗で、色んな思い出が蘇る。

小中高含め、本当に充実した楽しい学生生活だった。

皆んなへの感謝の気持ちが奥底から湧いてくる。

「もう人生ここで終わってしまっても良いかも」

その時から、人生のボーナスステージに入っている感覚。

人はハハハ(8 x 8)と笑い、シクシク(4 x 9)泣く。

8 x 8 = 64。4 x 9 = 36。足して100。

つまり、人生楽しいことの方が多い。悲しいことがあっても前を向こう。

的な言い伝え(?)が昔あった。

これを勝手に解釈することで、幸せのベースを基本マイナスに置いている。

というのも、確かに悲しいこともあったが既に人生に満足しすぎている。

ハハハを使い切ってしまったような気持ちになる。

この先はシクシクばかり待っているのかもしれない。と被害妄想。

だから、良い日を過ごせると物凄い多幸感に浸る。

すでにここはボーナスステージ。

人生のハハハを使い果たしたけど、まだまだハハハできる。

ああ、でも次は恐ろしいシクシクが待っているかもしれない。

またハハハ出来たら盛大に喜ぼう。

あとがき

こっからが本題。。

客観的に見て学生生活が最高だったかどうかは分からないし、多分良かった出来事しか覚えてないし思い出さない。

しんどい事も事実として沢山あったと思うし、充実していない時期もあったと思う。

要は、何でも満足できるマインドが育ったようである。

人生最高だな、と思えるのは何が起こったかではなく、思考のテクニックなのかもしれない。

気づけるか気づけないか。

でもそう簡単に満足してしまうと、その上にはいけない。渇けない。

そもそも渇きは必要なのか。

現代では、食を楽しむことも寝る環境も整っている。それだけでなんと幸せなことか。

人生の彩りや難しさについて考える今日この頃でした。

さらなるあとがき

学生時代で感じたことは、お金はそんな重要ではないということ。

漏れなく学生時代はお金がそんなに無かったが、物凄く楽しかった。

誰かと遊んだり話したり、何かに熱中したり、楽しいことはいくらでもあることを知れた。

だから社会人になった今もお金の先にあるものを重要視するようになった。

どんなコトに使うか、どんな体験をするか。別にそんな大量になくたって良い。

お金持ちにも沢山会ってきた。

お金のことばかり話す薄っぺらい人もいた。

いかに人を出し抜いて、ズルして稼ごうかという人もいた。

彼らの価値基準は「お金」という分かりやすい数値でしか測れない。

キマッて全く幸せそうに見えない。

一方で当たり前のように素晴らしい人間性の人もいた。

もうほんと尊敬しか出てこない、少しでも彼らのようになれるように頑張ろう。と思えた。

そして全然稼いでない人にも沢山会ってきた。

お金に縛られて病む人もいれば、めちゃくちゃ幸せそうな人もいた。

本当に価値のあるものを見失わないようにしなきゃ。