
『会いたい』と言えない男達
近くに父方の祖父母が住んでいる。
祖父のことは小さい頃から"グランパ"と呼ぶが、祖母のことは"グランマ"ではなく、ばあちゃんと呼ぶ。
栗原家の解明されない謎の一つである。
グランパは大学の名誉教授で何でもチャレンジ冒険家気質。
ばあちゃんは本当によく笑う優しい人。
母方のじいちゃんはもう亡くなってしまったが、母方のばあちゃんも本当よく笑うし優しいんだよなあ。
自分も「いつもニコニコ笑っているね」と周りからたまに言われるが、こんな感覚なのだろう。
祖父母に会うペースは大体年末年始など年1、2回程度。
だけど、この先いつまで生きていられるか分からない祖父母にはもっと会いたい。と思う2025年。
母方のじいちゃんはもう亡くなってしまったが、その事も踏まえてより多くの時間を共にしたい。
と言う気持ちがある。感謝の気持ちも凄くある。
その気持ちを察するかのように、最近グランパからパソコン修理の依頼が多くなった。
そう、僕らが日常で会う理由はいつも『パソコン修理』だった。
グランパから電話が来る。
『まーたパソコンがおかしくなった』と困ったような嬉しいような声で話す。
自分も対応するのが面倒くさいような、嬉しいような感情になる。
話を聞きに行くと、3つ問題が起きているらしい。
「今日は1つで良いよ」なんて言ってきたりする。
まるでまた別の日に会いに来いと言わんばかりに。
「会いたいから会おう」って言うのは男同士だと恥ずかしいのかしら。
どちらも単純に『会いたい』とは言わない。そういう家系なのか何なのか。
そして昨日、エンジニアの血が騒いでパソコンの問題は全て解決してしまった。
別で会う理由を作り出さなきゃなあ。
あとがき
似たような話は、気になるあの子をデートに誘う時。
付き合い始めると、「会いたい」と伝えるのは簡単になるが、付き合っていないと「映画を見にいこう」とか「〇〇に行ってみよう」とか何かしら会うための理由探しが必要なのだ。
「会いたい」と伝えるのは告白と同じようなもんだから。
どこだっていい、「会いたい」だけなのに。
よく覚えているのが、大学院の院試前に好きな人が出来て良い感じになってきた時のこと。
「会いたい」けど院試前だしどこか遊びに行くのもなあ。
どこで勉強したっていいのだが、好きな人のいる大学に行ってわざわざ図書館で勉強していたものだ。
不真面目な学生だったからそん時に初めてちゃんと図書館を利用したワイであった。
そして大学にいることにかこつけて「食堂でご飯食べよう」と誘う。
勉強に集中できるわけもなく、その子のことばかり考えていた自分が可愛らしいなと懐かしむ。
ちなみにその子とは付き合うことになり、院試前にデート三昧。笑
全然勉強できていなかったので、院試浪人を覚悟していたが奇跡的に受かることが出来た。
振り返れば奇跡の連続やなほんと。もーまんたい。